
【小6同級生殺害事件が起きた長崎県佐世保市の市立大久保小学校(188人)で17日、卒業式があり、卒業生は最後のページが白紙の卒業アルバムを手にした。加害女児の写真を張れるようにしたためだ。御手洗怜美さんの命を奪った少女の写真をどうするか。一緒に過ごした時間を残すのか、消してしまうのか。子供たちは答えを探し求め、教師も親も考えた。その結果が白紙のページだった。
担任と保護者が話し合い、怜美さんの写真は載せて、加害女児については希望者に写真を提供することにした。希望した児童は10人。2人とも運動会での姿。】(毎日新聞)
最近、基地外による事件が多かったため、この小6同級生殺害事件のことなんかすっかり忘れていた。教室で友達をカッターで切りつけて殺した事件である。当時はかなりショッキングだったのに、記憶が劣化するのは早いですな。
この話題はなかなか考えさせられる話題である。
「殺人者である生徒を卒業アルバムに載せるか否か。」今回のケースでは写真を貼るかどうかを生徒の自主性に委ねることにしたが、これは学校側が決断を放棄したともいえる。加害者の写真を載せるにしろ載せないにしろ、批判が寄せられるのは判りきっている。生徒が自主的に判断したとすれば、学校は非難されることは無い。むしろ、生徒たちがこの事件に向かい合って、自分で判断し、より成長することができた、と美談にすることさえ可能である。うまい手を考えたものだ。
希望した児童は10人と、意外と少ないと私は思う。もちろん、事件の事なんか思い出したくも無いということもあろうが、写真を貰ったことが周囲の同級生にばれると、変な目でみられしまうからではないか。
私だったらどうするだろうか。今の思考ならば将来の話題ネタになるので写真を貰うだろう。だが、12歳の時点で先のことまで頭はまわらんだろうし、先生の所まで写真を貰いに行って、危険人物じゃないかと変に目をつけられるのも鬱陶しいので、たぶん貰わないんだろうな。
ところで根本的なことなのだが、殺人者でも小学校って卒業できるのか?