春画は江戸時代に一世を風靡した浮世絵の極みであり、浮世絵のすべての技法が表れている。歌麿、北斎、英泉、国芳など多くの有名な画家たちが、それぞれに春画を描いたが、その繊細かつ優美な世界には、江戸という時代の豊かな文化が如実に表現されている。
春画とは古代中国の「春宮秘画」の略。平安初期に偃息図(おそくず)、戦国時代に勝絵(かちえ)江戸期に枕絵や笑絵(わらいえ)などと呼ばれてきた。元来は上層階級での遊びや笑いのために性を利用したのだが、笑絵の名称とともに広く大衆化し、元禄から幕末を通して活発に流通した。
春画はしばしば幕府の風俗取り締まりにより「発禁令」が発せられたが、発禁令が出ると版元や絵師の名を隠して版行された。販売は行商が主だったので問題はほとんどなかった。店売りでは声がかかると店の奥に案内して販売した。奉行所の役人もみんな春画のファンなので、表だって販売していなければそれで良しとなった。春画から絵師の名が消えてもみんな目が肥えていたのでたいていだれの筆かはわかっていた。絵師もいつもとおんなじように描いた。
「ばか夫婦、枕絵のまねをして筋ちがい」
「ばか夫婦、春画のまねで、手をくじき」
という川柳が残されている。これは庶民階層に春画が広く普及していたことのひとつの顕れである。
当時フルカラーの大量複製の春画は我が国にしか存在しなかった。西欧人達にとって、濃厚かつ精緻な春画は驚愕するほかにない存在であった。長崎のオランダ商館を通して春画が、そして浮世絵が大量に欧米に旅立った。もちろん春画だけではなく浮世絵自体が欧米で高く評価され、当時の西欧絵画に大きな影響を与えている。
しかし、明治二(1869)年の太政官布告により「春画」の出版・流通が厳しく取り締まられるようになり、それから日陰の存在となった。西欧化志向が高まるにつれて春画の美術的価値は否定されるようになり、やがて江戸期の浮世絵全体が社会から否定されるようになった。